祝辞
設立70周年に寄せて
元内閣府副大臣
日本大学 教授
石田 勝之
埼玉織物工業協同組合の設立70周年をお祝い申し上げます。
織物繊維業界は、戦後の荒廃から立ち上がろうとする日本に大きく貢献し、朝鮮特需を足がかりとして織物市況が活発になりましたが、その後、景気の後退と業界不振が訪れ、昭和46年対米繊維輸出自主規制に伴い、大打撃を受けることとなりました。
現在、米国はトランプ大統領の登場でTPPからの離脱を表明等、自己中心主義に舵を切り、今後の貿易交渉の多難さを感じさせる今日、繊維摩擦は日米間に起きた最初の貿易摩擦で、その後の貿易交渉の先鞭をつけるものでした。
この背景には経済利害の他に沖縄返還という政治的課題もありました。
埼玉県南部(蕨・川口・鳩ケ谷・浦和)地域は、鋳物、釣竿、そして「機織りの街」地場産業としての織物業が盛んに行われるようになった昭和22年に埼玉織物工業協同組合は誕生し、当時組合員数104人で構成されていきました。
現ラムザタワーの立地にあった同組合は、昭和60年に埼京線開通を見込んで沿線・開発され次第に都市化へと発展していく中、昭和63年に武蔵浦和駅周辺の開発事業計画へと進んでいきました。
しかしながら、その後政界を震撼させた事件に遭遇し、加えてバブルの崩壊と共に長期間計画が頓挫する中、地主である埼玉県と埼玉織物工業協同組合との交渉について、当時埼玉県議を務めていた私のところに、私の後援会長であった山野利一鳩ケ谷商工会長と鳩ケ谷ロータリークラブの大先輩である関口登同組合理事長ら、役員の皆さんが尋ねてこられ、組合の現状と窮状を縷々述べられ、県との間の交渉の仲立ちをさせていただいたのが約30年近く前、昭和63年のことであります。
時の経過から関口、山野さんも物故され、土屋卓雄理事長もすでに故人となられ、当時の皆さんのお顔が走馬灯のように瞼に去来します。
多くの先人の方々のご労苦によって、現在では不動産賃貸を主として飯塚司理事長の元で、発展されておりますことは同慶の至りです。
70年という節目の記念誌出版に当たり原稿依頼を受け、一筆啓上させていただきました。
設立70周年を祝して
埼玉県知事
上田 清
このたび、埼玉織物工業協同組合が設立70周年を迎えられましたことを、心からお祝い申し上げます。戦後間もない昭和22年の発足から、70年もの長きにわたり、本県産業の振興や県南地域の発展に御尽力されてきた歴代理事長をはじめ組合員の皆様に対し深く敬意を表します。
本県は、戦前においては有数の織物産地であり、秩父地方では絹織物、貴組合の地盤である県南部の北足立地方では綿織物を多く産出していました。その後の産業構造の変化などにより、織物産業を取り巻く環境は厳しさを増しましたが、貴組合においては組合形態の転換などを図り、時代に適応してこられました。近年では、蕨市の地域資源「双子織」を生かした地域ブランドの創出に対して、貴組合員が手機の継承活動を支援されています。今回、70周年を迎えられたことを契機として、織物関係の取組みにより力を入れていきたいとの意向をお持ちであるとお聞きし、大変心強く思っています。
かつて、生糸や織物で世界を支えた日本は、今日、新たな繊維素材の量産技術や加工技術により、航空産業やファッション業界など様々な分野で高い評価を受けています。また、外国人旅行者が増加する中、伝統工芸としての織物への注目度も高まっています。
このたび出版される70年史は、本県南部で綿織物産業が盛んであったことを後世に伝えていくとともに、貴組合が織物産業を通して地域社会に貢献してきたことを広く周知する第一級の史料であると言って過言ではありません。貴組合におかれては、引き続き、本県産業の振興や地域の発展に御尽力いただきますようよろしくお願いいたします。
結びに、本書の編纂に当たられた皆様に、重ねて敬意を表しますとともに、埼玉織物工業協同組合の新たな歩みと、組合員の皆様のますますの御活躍を心から祈念いたしまして、お祝いの言葉とさせていただきます。
設立70周年を記念して
さいたま市長
清水 勇人
埼玉織物工業協同組合が、設立70周年という記念すべき年を迎えられましたことを心からお慶び申し上げます。
埼玉織物工業協同組合におかれましては、設立されて以来70年という長きに渡り、織物工業の技術発展に多大な成果を挙げてこられました。飯塚理事長をはじめとする歴代理事長、ご関係の皆様のご尽力に対しまして、深く感謝を申し上げますとともに、敬意を表する次第でございます。
昨年、3月に国土交通大臣が決定した首都圏広域地方計画において大宮駅は、西日本の玄関口品川駅と並んで、東日本の玄関口として、ヒト・モノ・情報などが対流する拠点に位置付けられました。現在、さいたま市では民間企業の首都圏・東日本方面の拠点機能が集積するなど、産業人材の交流が盛んに行われているところです。このような状況の中、一昨年来、新幹線でつながる主要な都市の首長による「東日本連携・創生フォーラム」を開催しています。地域資源の相互PRや東日本連携広域周遊ルートづくりなど、各都市とともに経済関係団体が協力して経済交流や観光振興を進めていくことにより、地域活性化の推進や交流人口の拡大を目指してまいります。
さらには、「ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム」や、「2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会」といった国際イベントも活用し、広く国内外にさいたま市を発信し、地域の賑わいにつながるよう取り組んでまいります。
このような取組みを効果的に実施するためには、70年の長きに渡り培われてきた埼玉織物工業協同組合の力が必要不可欠と考えておりますので、引き続き皆様のお力添えを賜りますようよろしくお願い申し上げます。
結びに、埼玉織物工業協同組合の今後のますますのご発展を祈念申し上げ、私からのお祝いの言葉とさせていただきます。
設立70周年を祝して
埼玉県中小企業団体
中央会会長
星野 進
このたび埼玉織物工業協同組合が設立70周年を迎えられましたことに対しまして、心からお祝い申し上げます。
顧みますと貴組合は、昭和19年の「埼玉県織物工業統制組合」を経て、その後、昭和22年に商工協同組合法のもと、「埼玉織物工業協同組合」として発足、そして、昭和25年2月より、現在の中小企業等協同組合法のもと事業協同組合として活動され、70年という永きにわたり県内の織物業の発展に尽力されてきました。
この間、貴組合におかれましては、相互扶助の精神のもとに、組合員の取扱品の共同加工事業や組合員への転貸貸付を行う金融事業など、組合の共同事業を通じて組合員の経営合理化並びに織物業界の発展に寄与してきました。
しかしながら、織物業界を取り巻く環境は、昭和40年代後半の日米の繊維貿易問題をはじめ経済のグローバル化による海外への生産拠点移転・廉価な海外製品の進出など大変厳しい状況が続き、組合員の事業廃止・縮小など組合活動にも大変影響を及ぼしたと思われます。
貴組合では、これら厳しい状況においても常に、組合活動の方向性を考え、組合の共同事業の見直しや財政基盤の強化に努め、現在に至るまで組合運営をされてきたことは、役職員並びに組合員の皆様の御努力の賜と、心から敬意を表する次第でございます。
織物業界は、今後とも厳しい経営環境が続くことが予想されます。組合員企業の皆様の経営努力はもちろんですが、個々の企業では解決困難な課題に対しては、組織力を活用した取組みが不可欠であります。そのため、組合に求められる役割は、従来にも増して重要かと存じます。
貴組合が、設立70周年を契機といたしまして、より一層の協同の精神を発揮され、次代へ向けて大きく翔かれますことを御期待申し上げます。
結びに、埼玉織物工業協同組合のますますの御発展と組合員の皆様方の御繁栄、御健勝を祈念いたしまして、私のお祝いの言葉とさせていただきます。