はじめに

設立70周年を迎え、記念誌発刊に当たって






埼玉織物工業協同組合
第9代理事長       
飯塚  司

昭和22年に埼玉織物工業協同組合が発足し、今年で70周年を迎えます。思えば、設立当初の方々の偉大さをつくづく感じる次第であります。
組合設立については諸説ありますが、当組合は当初、現在の地区以外にいくつか一緒にありました。それを現在の形にする努力を一言申し上げたいと思います。
設立3年前の昭和19年に戦時下の政府の方針で設立された埼玉県織物工業統制組合が戦後解散することになり、同組合の理事だった与野の中村彌太郎氏はじめ、浦和の浅尾利吉氏、蕨の野崎信一郎氏そして川口の土屋伊之助氏ほか11名、監事3名等々関係者の多大な努力により従業員20名を抱えて設立されました。
戦後間もない設立時から現在に至るまでの議事録の多くが組合に遺されていたことは、事務方の堅実さも併せて自慢したいところであります。当時の組合員の有り様が綴られているこの記録を後世に伝えることが今を生きる我々の務めと考え、『埼玉織物工業協同組合設立70年史』を編纂いたしました。
組合が現在あるのは、組合員相互の結束のたまものと感じます。現組合事務所には
聖徳太子の17条の憲法第1条が額に収められています。
「和を以て貴と為す」
まさにこれが組合員の結束を生み出した源のようであります。
昭和30年代に入り繊維の統制時代が長く続きました。織機の登録や制限が大変厳しくなり、それがたに廃業せざるを得なかった時代です。その時代を振り返るとき、先人がいかに時世を乗り越えてこられたかが十分すぎるくらい分かります。そして50年代から60年代はもっと厳しく、ほとんどの企業が廃業を決めていきました。
そこに武蔵浦和の駅前再開発という時代が来ました。いよいよ埼玉織物工業協同組合が決すべき時でした。先代はもとより先々代やそのまだ先の理事長や出資金の多かった組合員の決断に感謝であります。まさに、「和を以て貴と為す」です。
今後につきましては、埼玉織物工業協同組合の歴史と文化を次世代にいかにつない
でいくかが課題であります。
先代よりずっと歩んできた道です。次の1年をそしてその次へも・・・・・・・・。
埼玉織物工業協同組合とその組合員は、先代が築き上げた大切な文化と歴史を誇りに思い、歩んでまいります。